『グレート・ギャツビー』を読んで
フィツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んだ。
この作品は、おすすめの海外文学を検索すると、必ず上位にランクインしているので気になっていた。
『華麗なるギャツビー』というタイトルで映画化もされていて、最近ではディカプリオが主演で映画化されたが、僕はまだ見ていない。
さて、小説の話。
この『グレート・ギャツビー』は1925年に出版されたが、その時はあまり売れなかったようだ。それが第二次世界大戦中にリバイバルして、当時の戦争の不安が広がっている中、明るかった時代を懐かしむ思いとマッチして、20世紀の傑作とされるまでになった。
内容はというと、話としては特に何かがあるということもなく、誰に感情移入をしていいのかわからなかった。
アメリカのセレブの話で、ギャツビーは夜な夜な自宅で盛大なパーティーをしている。
ギャツビーはなぜパーティをするのか。なぜ金持ちになったのか。
その動機はすごく子供っぽい理由だ。
しかし男が何かをする動機なんてそんなものだ。
ギターを始めた動機は「モテたいから」と、大体そんなようなものだ。
海外文学は何冊か読んだことはあるが、翻訳ものは慣れていないからか読みづらく感じる。登場人物も当たり前だが外国人の名前なので馴染みがなく「あれ?これって誰だったっけ?」とこうなる。
かといって原書では読めないので、慣れるしかない。
何かで読んだが、訳者で本を選ぶのもいいらしいので自分にあう訳者を見つけたい。
今回は新潮文庫から出版されている野崎 孝の訳を読んだ。
他には村上春樹が翻訳しているものもあるので、それも読んで比べてみたいと思う。
そして映画も見てみよう。映像だとまた何か違う印象を受けるかもしれない。