「考える」ことを考える。哲学って何だろう?
あなたは哲学とは何か、わかりますか?
僕はわかりません・・・。
でも、わかりたいと思います。
一応調べてみたら、
引用:goo辞書
- 世界、人生などの根本原理を追求する学問。
- 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。
だそうです。わかるような、わからないような・・・。
1.は、アリストテレスなど、いわゆる「哲学者」のことでしょう。
2.は、松下幸之助の「経営の哲学」などのことでしょう。
なんか難しそうだけど、哲学ができたら人生変わるんじゃね?(語尾上げる)
なんて考えて、簡単そうな「哲学入門」なる本に手をつける。
・・・わからん。
「頭の悪い俺に哲学なんて理解できない。無理だ!」
と、挫折してしまう人が多いと思います。
『〈子ども〉のための哲学』という本に、こんなことが書いてありました。
哲学とは、結局のところ何が言いたいのか、というような形で、その趣旨を要約するなんてできない。最初の疑問と、納得を求めて右往左往するはだかの試行過程の中にしか、哲学はない。
言葉として「哲学」は存在するが、「それが何なのか」ということは存在しない。
疑問が生まれ、それについて考える過程が「哲学する」ということなんでしょう。
疑問があり、その考えを誰かと議論するとしましょう。
哲学に関しては、主張を要約して賛成したり反対したりすることは無意味だし、そもそも不可能なことだ。複数の哲学を比較してその優劣を論じるなんてことも、同じである。初めから問いを共有しない人には、その主張の哲学としての意味はわからない。
一方的に自分の考えを伝えたり、あるいは、人の考えを聞いたとしても、その疑問をお互いに抱いていないと意味がわからない。 哲学なんて自分の中にしかないものなのかもしれません。
哲学の本を読むと、「何でそんなことをいちいち考えるんだろう?身近にいたら面倒くさい人だな。」と思うことがあります。
哲学的に考えるとき、大切なことは、それがバカげているかいないかを決めることではなく、もしバカげているとすればどんな意味でバカげており、もしバカげていないとすればどんな意味でバカげていないかを、できるだけ深く徹底的に考えてみること。
面倒くさい人ですね^^;
でも、誰しも頭の中で考えがグルグルグルグルして、収集がつかなくなるときがあると思います。そのときに徹底的に考えて、とりあえずの答えを出すと楽になることがあります。それが哲学なのかもしれません。
哲学とは、他の人が上げ底など見ないところにそれを見てしまった者が、自分自身を納得させるためにそれを埋めていこうとする努力である。だから、哲学の問いがみんなに理解される公共的な問いになる可能性なんてありえない。
「誰も気にしてないけど疑問を見つけてしまった!もうそれで頭がいっぱいで何も手につかない!」
気になってしまったものは仕方ないですよね。納得するまで考えましょう。
ただし、あまり人には語ってはいけません。邪魔くさがられる恐れあり・・・。
先述の「同じ問いを共有しない人には意味がわからない」ということが納得しました。
これまで述べてきたことは、あくまでも僕の解釈です。人によっては全然違うかもしれません。
でも、それが哲学なんでしょう。
人それぞれの考え方がある。答えはその人の中にしかない。
「考える」ことを考える。
その先に何があるのでしょうか。
行ってみましょう!
参考文献『〈子ども〉のための哲学』永井 均