芥川龍之介とは実際どんな小説なのか読んでみた
最近芥川賞を受賞した作品を立て続けに読んだ。
そもそも芥川賞とはなんだろう。
純文学の新人に与えられる文学賞である。
引用:Wikipediaより
では純文学とはなんだろう。
純文学とは、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学の用語。
引用:Wikipediaより
とある。
この説明だけではピンとこないので、実際に賞の名前にもなっている「芥川龍之介」本人の作品を読んでみることにした。芥川の作品は教科書で読んだことがあるくらいだ。
今回は『羅生門』を読んでみた。
理由は、なんか聞いたことがあるタイトルだからと安易なものだ。
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ある下人が仕事をクビになり、この先どうしようかと羅生門の下で考えていた。
このままでは餓死するか盗人になるかしかない。
ひとまず今日はここで寝ることにした。
羅生門の上には死体がたくさん捨てられている。
下人が羅生門の上に登ると、老婆が女性の死体の髪の毛をむしっていた。
下人にはそれがすごく悪いことをしているように思えた。
そこで老婆に何でそんなことをしているのかと尋ねると、
「この死人は生前悪いことをしていたから、そんな人の髪をむしっても悪いと思わない」と答えた。
そこで下人は老婆の着物を剥ぎ取って行ってしまった。
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この話は何を意味しているのだろうか。そもそも意味なんて考える必要はないのだろうか。初めての芥川龍之介をどう読んでいいかわからない。
しかし僕的にはこの『羅生門』という小説をこうよんだ。
「悪には悪を」という論理はおかしい。
悪いことをした人に悪いことをするのは良いのなら、下人からしたら老婆も悪いことをしているので着物を剥ぎ取られても文句は言えない。
どうでしょうか。まったく違うのかもしれませんが、捉え方は人それぞれでいいでいいのではないでようか。試験ではないので、小説を読んで、それをどう解釈するかは自由ですしね。自分はどう考えたかが大事だと思います。
そういう意味では「純文学とは読んだ後に考えさせられる小説」ということでしょうか。もう少し芥川を読んでみよう。