いじめについて。『14歳の君へ』
池田晶子さんの『14歳の君へ』の中にこんなことが書いてありました。
「いじめる方と、いじめられる方、どっちが悪いだろう」
そんなのいじめる方が悪いに決まってます。
「それなら、いじめる方より、いじめられる方がよいといえるだろうか。」
どちらが悪いから、どちらがよいという、そんな簡単なことじゃない。
「もし君が、いじめる方と、いじめられる方、どちらも選べるとしたら、どちらを選ぶ?」
・・・・。
あなたは、どちらかの経験がありますか?
・・・・。
僕はないと思っています。
少なくとも「いじめられた」と感じたことはありません。
ただ、もしかしたら「お前いじめてたやろ!」という人がいるかもしれません。
ちょっとしたことが、当事者にしたら「いじめられた」と受け取られている可能性はないとは言えません。
★
学生時代を思い返すと、やっぱり「いじめ」は存在しています。
僕の小学校は1クラスしかなかったので、みんな幼馴染みたいなもんです。
卒業して中学に行くと、いきなり8クラスになりました。
そこで、溶け込める人と、溶け込めない人に分かれたように感じます。
僕はアホだったので、なにも気にすることなく溶け込みました。
でも、おとなしい子は、やっぱり大勢の中では萎縮というか、うまく自分を出せないこともあったでしょう。
★★
そんなとき、同じ小学校で幼馴染のように育ってきた女の子が、いじめを苦に自殺してしまいました。
どうやら、部活の先輩にいじめられていたようです。
その部活には、同じく小学校からの幼馴染もいたんですが、どうすることもできません。
どちらかというと、いじめる側につかないと、自分もいじめられてしまいます。
中学生なんて学校が世界の全てです。
いじめる側についた子を責めることはできません。
そのとき、僕はどうだったのか。
噂は聞いていたのかもしれませんが、ほとんど知らなかったので無関心でした。
いじめる側についてしまった人と、無関心の人、どちらが悪いのか。
どちらが悪くて、どちらがよい、ということではないでしょう。
一つ言えることは、「いじめられた方」はまったく悪くありません。
悪くないのに傷つく必要はないですよね。つらいですよね。
僕は幼馴染なのに何かできなかったのか。なんで助けてあげられなかったのか。
今さらそんなこと思っても遅いですけど。
この本を読んで、そんな昔のことを思い出しました。
★★★
あれから20年以上経っているのに、いまだにニュースでいじめの問題を聞きます。
完全になくすのは難しいことでしょう。
家庭や教育の問題だと専門的なことはわかりません。
無責任なことは言えませんが、「本に救われる」ということもあると思います。
僕はまさにこの本で気づきましたし、つらいことがあったら物語の世界に逃げ込むのもありです。
いじめた人、いじめられた人、何もできなかった人、学生の人、親、教育にたずさわる人、教育者を目指している人などなど。
この記事が、少しでも考えるきっかけになればいいなと思います。
参考文献:『14歳の君へ』池田晶子