今日はこれしかない!天才・羽生善治の話をしよう。
今日はやっぱりこの話題しかありません。
ついにやってくれました。
あの、3連勝からの4連敗で敗れた竜王戦から9年。ついにこの時がきた。
まさに天才。
★
前竜王の渡辺さんも強くて、解説なんかも面白いので好きなんですけど、対羽生戦となると話は違ってきます。
いつも大事なところで対戦し記録を阻止する、という印象があります。
どちらも強いので、いいところで当たるのは当然かもしれませんし、それがまた面白いところでもありますが。
今回は「羽生さん永世7冠なるか!」という期待がかなりあったので、渡辺さんとしてはやりにくかったと思います。
今日はそんな羽生善治の面白エピソードを紹介します。
赤い帽子の天才少年
羽生が将棋を始めたのは6歳、小学1年の頃。将棋を覚えて半年後には八王子の将棋大会に出ていたが、まだ覚え始めだったので簡単に負けていた。
もっと強くなりたいと、週一で道場に通いはじめる。
それからは大会に出ては驚異的な成績をおさめるようになる。
その将棋大会で母が羽生をすぐに見つけられるよう、広島カープの赤い帽子を着用させていた。そのため周囲からは「恐怖の赤ヘル少年」と噂されるようになった。
ドライブ事件
羽生世代と呼ばれる中に、佐藤康光・現将棋連盟会長と、森内俊之・現専務理事がいる。
1995年のこと、佐藤と森内が、羽生の王将戦を観戦するため、佐藤の運転する車で日光へと向かった。
そのとき佐藤は免許を取りたてだった。
王将戦が早く終わり、羽生はその日に帰宅するとのことで、それだったらと佐藤の車で帰ることになった。
そこで事件は起きた・・・。
帰りは夜の高速道路。
羽生は恐る恐る佐藤に聞く。
羽生「佐藤くん、高速は初めてじゃないよね?」
佐藤「じ、実は高速も夜の運転も初めてなんだ・・・」
羽生、森内「・・・・・」
そこから恐怖のドライブが始まる。
周囲の速度に動揺を隠せない佐藤は、車線内をウロウロ。
そんな運転をしていたらトラックに囲まれるが、なんとか無事帰宅。
しかし車内はお通夜状態だった。
この事件がトラウマになり、羽生が佐藤の車に乗ることは2度となかった。
★★
いやーこのとき何か事故でも起きていたら将棋の歴史が変わってましたね!
笑い話になってよかったです。
それにしても今年の将棋界は、ひふみん、藤井聡太フィーバーと飛躍の一年でした。
そして、やはり最後は羽生善治。
永世7冠達成という最高の形で締めくくりました。
今年だけにとどまらず、今後さらに将棋が盛り上がって行くことを期待しています。
※一部、愛情を持って敬称を省かせていただいてます。
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こちらは名言です。 ↓