戸塚珈琲店

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コンプレックスさえなければ上手くいくのか?

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誰しもが、一つや二つはコンプレックスを抱えていると思います。

芥川龍之介の『鼻』は、そんなコンプレックスを持った人物が登場します。

 

この話の主人公・禅智内供。彼のコンプレックスは「鼻」です。

長さは五六寸あって、上唇の上から腮(あご)の下までぶら下がっている。形は元も先も同じように太い。謂わば、細長い腸詰のような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がっているのである。

内供はさほど気にしていない風を装っているが、内心はこの鼻のことをすごく気にしています。長い鼻が邪魔でご飯を食べるのも苦労するので、弟子に箸で鼻を持ち上げてもらって食べないといけない。

 

そして実際よりも鼻を短く見えるように、鏡でいろんな角度から工夫をこらしていましたが、一向に上手くいきません。

そんな悪戦苦闘している時、弟子が鼻を低くする方法を教えてもらってきました。早速それを試したところ、見事に鼻が低くなりました。

でも今だけかもしれないと思い、翌日も恐る恐る鏡を見ると、まだ鼻は低いままでした。

これで鼻に対するコンプレックスはなくなり一件落着と思いましたが、なぜか前よりも人々に笑われるようになります。

こんなに笑われるのなら前の長い鼻の方がいいと内供は思います。

 

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この話を読んで思ったことは、安易にコンプレックスのせいにしてはいけないということではないでしょうか。コンプレックスさえなくなれば上手くいくと、姿かたちを変えても解決にならない。むしろ昔を知っている人たちは、その変わった姿をみて陰で笑っている。そういうことを言っているのだと思います。

 

しかしコンプレックスとは厄介なもので、それがあると自信が持てません。「もしコンプレックスをなくして自信が持てるのならなんでもする」と思ってしまうのもわかります。

僕にもたくさんコンプレックスがあります。それさえなければ「アレもできた、コレもできた」と思ってしまうこともあります。

 

でもそこでもう少し考えましょう。

本当にそのコンプレックスがなくなれば問題が解決するのでしょうか?

幸せになれるのでしょうか?

他に何かできることはないでしょうか?

 

ああ、なんか難しい話になってしまった。

何が言いたいかというと、この芥川龍之介の『鼻』を読んで、自分で考えてみようということです。